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11. 日本人学生達 [ニューヨーク州立大学]

私が通うことになったニューヨーク州立大学には、8人の日本人がいて、さらに私と同時期に5人が入学してき留学ました。合計13人もの日本人が小さな大学にいるというわけです。

これには驚きましたが、西海岸の大学に入学した河合塾留学予備校の仲間と電話で話をするとさらに驚かされました。西海岸の大学には数百人規模の日本人が各学校にいるという。さらにカンザス州の田舎にいった友人・タカに聞くと、東京から飛行機を4回乗り継いで到着した人口1000人程の街にある大学にも数人の日本人がいるというのです。ノースカロライナの森の中にある大学に入学した友人・関田も日本人が大量にいるという連絡をくれました。ということは、アメリカには相当数の日本人留学生がいることになります。
それに比べると、比較的都会に近い大学に日本人が10人強というのはまだいいほうなのだろうか。

私の留学の目的は、きちんとした知識を身につけ目標となる職業に就くことなので、日本人と徒党を組むつもりは毛頭なかったのです。だからできるだけ日本人が少ないとおもわれた大学に入学したのでした。私は挨拶程度で積極的に日本人コミュニティには加わらないようにしました。

でも、小さい学校なのでいろいろと人柄が見えて来ます。私が入学した時に出会った日本人を何人か紹介してみようと思います。

山崎氏は、実はこの学校の生徒ではない。彼は大阪出身で高校卒業後ニューヨーク州立大に入学した。非常に勉強熱心で短期間で2年制の単位を取得してしまった。そして、PACE Universityにトランスファー(編入)し、今はPACEの3年生だ。卒業までは長くてあと1年。実家は花屋さんを営んでおり、きさくで冗談を言う先輩。彼にはアジア系アメリカ人の彼女がいて、そのおかげで英語はとても流暢だし、スラングも相当知っている。酒と釣りを愛する人で時々それに飲まれてしまうという愛すべきキャラクターでもある。彼女の家の関係で彼は編入した後も、この街に住んでいた。だから時々自分の母校のカフェに現れた。彼には、アメリカに来てわからないことを沢山教えてもらった。そして今も交流がある。

松崎氏は、1年前にこの学校にやってきた。実は大阪の有名大学を卒業しているのだが、理由があってこの学校で勉強していた。彼の実家は大阪で大きな宝石店を営んでいた。ここロックランド郡内には、ユダヤ人が住む町があり、そのユダヤ人のおおくはマンハッタンで宝石商をしている。松崎氏は、アメリカの宝石業界を視察する意味でこの学校に所属していたのだ。大柄で声が大きく、いかにも大阪出身の人懐っこいキャラ。日本人との付き合いの悪い私でも、ときどき食事に誘ってくれた心優しい人でもある。

目白氏は、松崎氏と同じ時期にやってきた。彼の実家は東京で宝石の加工業を行っていた。よって、松崎氏と同じルートと目的でこの学校に通っている。目白氏と松崎氏の実家は仕事の関係があるようで基本的にこの2人は兄弟のように行動を共にしていた。目白氏はテニスが大変うまく、ひとりでテニスコートに行って、知らないアメリカ人に試合を挑んでいた。そしてテニスを通じて沢山の友達を作っていた。

鈴木さんは、当時40くらいのおばさんで、子供を連れて入学してきた。彼女は、若い頃アメリカで暮らしていたそうだが、その後日本に帰り結婚。しかし幸せな結婚生活も長く続かず離婚して、子供とともにニューヨークに来たそうだ。どんな目的があるのか最後までわからなかったが、子供は地元の学校に通わせ、彼女は授業を受けていた。おばさん特有の群衆意識があり、やたらと日本人の学生を手なずけてコミュニティを作ろうとしていた。そして、週末になると日本人で集まり、悪口やうわさ話で盛り上がっていたようだ。集まるのはフルタイムの語学学校生徒達で、いつも日本語で群れているので何年経っても語学学校を抜けることは出来なかった人たちだ。私は、彼らとは距離を置き、学校で見かけると挨拶はするよう心がけた。

箱山は、私と同じ歳で東北出身のきさくな男だった。ずいぶん昔から学校に通っていたようだが、ずっと語学学校の一番下のクラスに所属していた。卒業の見込みはまずないといってもよかった。ただ面倒見がとても良く、困っている人がいると必ず助けてあげていた。ボロボロの車に乗っていて、誰でもかまわずバスを待っている人を乗せてあげるような気のいい男だ。彼は、なんでこの学校にいるのか聞いたところ、結構驚かされる話をはじめた。実は、彼は元レスリングの選手で将来はオリンピックの選手として有望だったらしい。しかし、今でいうところのドーピング検査にひっかかり選手生命を終えたそうだ。そしてそのとき接種した薬がもとで様々な障害を抱えていた。見た目にはそんなことは全く感じさせない明るい男だった。彼は、日本の学校を追われ、仕事にも就けず途方に暮れていたとき、ニューヨークのレストランで働かないかという誘いを受ける。そして渡米するのだが、雇われたレストランはとんでもない劣悪な環境で、ビザもなく不法就労を強いられた。パスポートもレストランに没収されコピーしか持っていなかったのだが、そのレストランから逃亡し、当時ロックランドの街にひとつだけあった日本食レストランに匿わられていたのだ。

江藤は、私と同時に大学に入学した背の高い物静かな少年だった。彼も東北出身で、箱山とは出身地が近いということで仲が良かった。彼と私は同時期に入学して、英語の学力も学部も一緒だったので、よくクラスが一緒になった。ただ、彼も目的を持って勉強をしているので、意味もなく一緒にいることはなかった。江藤と私は適度な距離を保ちながら良い関係を築いていた。

その他にも、ポルシェを買って学校に一度もこない人や、学校に10年近く通っている元OLや、有名人の子弟など個性的な日本人がいました。そして私が在籍していた間にも沢山の日本人がやってきて去っていったのです。

アメリカの大学の日本人はどこも似たような行動パターンのようです。
1)目的意識を持ち、きちんと卒業していく学生。概して日本人とはどっぷりつきあわない。
2)目的がなく、日本の大学に入れなかったので、留学してきた学生。基本的に日本人とコミュニティを築く。
3)30代目前で、日本でもぱっとせず語学力を身につけたいため渡米する女性。
4)日本で家庭が崩壊したり、法を犯したりして、生きる道をアメリカに求めた人々

皆それぞれの生き方があるので、肯定も否定もしませんが、目的意識を持って留学したはずの学生でも4年制大学を卒業できるのは、20%くらいです。よって、留学を成功させるのは大変リスクが高いといわざるをえません。

これから5年で、さらに面白い日本人学生と出会うことになりますが、これはまた追って紹介しようと思います。


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