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25. 引っ越し [ニューヨーク州立大学]

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1st セメスターが終了し、1週間ほどスプリング・ブレイクという休みがありました。私は車の免許を取るため、免許センターにいって手続きをしたり、教習所に通ったりしていました。マンハッタンで初めて字幕なしの映画を見たのもこのころです。映画は「ミシシッピー・バーニング」でした。初めてのブロードウェイ・ミュージカルをウィンターガーデンで見ました。演目は「キャッツ」でした。これはストーリーがさっぱりわかりませんでした。

そんな時、大学にいる日本人から電話がかかってきました。ちょっと食事に行かないかというのです。箱山は、ボロボロの車を持っていて、バス停でバスを待っている私を見つけると、車で送ってくれる気の良い男でした。ただ勉強は全くできないようで、語学学校では一番下のクラスにいて、大学の授業は受けられませんでした。そんな感じが数年続いているようで、大学では彼をあまり見かけませんでした。

彼は、New Cityに良い物件があるから、一緒に住みたいということを言い出しました。私は日本人とはあまり付き合わないようにしていましたが、どうしても家を見に行こうと誘われたので、断ることが出来ずNew Cityという街に行ってみました。
そこは、とても綺麗で高級住宅地でした。近くにはゴルフ場やテニスコートがあり、ニューヨーク・シティまで直通のバスが沢山出ていました。要はマンハッタンで働くエクゼクティブたちのベッドタウンなのです。あまりに洗練された町並みに驚き、こんな街に住んでみたいと思いました。そして空いているという部屋は巨大でした。
私はすっかり心を奪われ、New Cityに住みたくなってしまいました。その物件はタウンハウスと呼ばれる建物で、3階建ての長屋です。家賃は1ヶ月1000ドルでした。箱山は、200ドルしかだけないので1階の下にある半地下に住むと言うのです。私は残りの800ドルを負担することになり、1階のリビングと2階、3階が使えるのですが、800も支払う余裕はありませんでした。
すると箱山は、もうひとり探してくると言い出しました。結局、私と同じタイミングで大学に入り一生懸命勉強している江藤君を連れてきたのです。江藤君はとてもまじめで、学力は私と同じくらいでした。彼となら一緒に勉強ががんばれそうです。そこで、この3人で、New Cityでの共同生活をすることにしたのです。

まず、ホストファミリーにこのことを告げました。シシリーはとてもショックだったようで、落ち込んでしまいました。そして大学の留学生課に長い電話を掛けていました。結局、気持ちよく私を送り出すことになりました。たった3ヶ月間でしたが、私を支えてくれた家族に感謝しました。そして彼らとは。その後とても長いつきあいをすることになります。

引っ越しは簡単でした。スーツケース1つだからです。日本を発った時から服が数枚増えているだけでした。私はタウンハウスの3階に住むことになりました。2階の江藤とバス・トイレは共用です。お互い鑑賞しすぎないように気をつけ、友人をむやみに呼ばないことを約束しました。

大学へは、バスを乗り換えなければならない程距離が離れてしまいましたが、2nd セメスターは、毎朝江藤と二人でバスを乗り継ぎ学校へと通いました。二人だと日本語が話せて楽しかったです。箱山は、学校にはますます行かなくなり、家から直ぐの日本食レストラン「Maiko」で働き始めました。彼は、完全に不法滞在者の道を歩んでいました。

1st セメスターと2nd セメスターの間には、こんな変化がありました。
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