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6. ニューヨーク到着2日目 大学到着 [大学入学とアメリカ生活]

朝起きると、朝日が部屋の奥まで差し込んでいました。私は支度をしてホテルのレストランで朝食を食べました。オレンジジュースがとてもおいしかったのを記憶しています。そしてチェックアウトの準備をはじめました。

この日は、マンハッタンを発ち、入学するニューヨーク州立大学付属の2年制大学に向かう予定でした。私が入学する予定の大学はマンハッタンから車で1時間ちょっと北に行った小さな町にあると手紙には書いてありました。その街Suffernまでは、昨日空港からホテルまで送ってくれた父親の会社のニューヨーク支社の方が送ってくれることになっていました。

まずはホテルをチェックアウトします。1部屋149ドルでした。現在は同じホテルが500ドル以上しますので当時はまだ物価は今より安かったのです。ニューヨーク支社の方の車に乗り込み、大学を目指します。ホテルを出てマンハッタンを抜けました。映画で見たことのある景色に興奮しているとあっという間にジョージ・ワシントン・ブリッジを渡ります。ジョージ・ワシントン・ブリッジは、この後何度も渡ることになる橋です。橋からはマンハッタンの摩天楼が見えました。そして橋を渡るといきなり森になります。町や家屋が見えなくなり、Palisades Parkwayに入りました。この道はハドソン川の西側を北上する道で、まわりには深い森が広がっていました。マンハッタンを出たらいきなり森だなんて思ってもいなかったので、ちょっと驚きました。あれれ、こんな田舎に行くんだ。郊外の静かな高級住宅地を想像していた私は心配になってきました。

車は、1時間ちょっとで、山の中にある大学に到着。なんといったらいいのでしょう。長野県の軽井沢や蓼科のような感じの街にある小さな大学があったのです。想像とは違っていましたが、私は車を降り留学生の応対をしているStudent Unionに向かいました。ここで、父親の会社の人は帰っていきました。丁寧にお礼を言って見送ったものの、この後どうなることやら途方に暮れてしまいました。

Student Unionには担当のスタッフがいて、丁寧に応対してくれました。とりあえず学校は1週間後に始まるので、それまでは何もすることがないこと、学校がはじまるまでは、生活に慣れ銀行口座を開設することなど説明を受けました。そして今後の宿泊はホームステイ先を斡旋すると言われたのです。「ちょ、ちょっと待ってください。私は手紙でアパートを探してほしいとお願いしたはずです。」つたない英語で直訴すると、アパートは高いからやめなさい。という返事。ホームステイ先には明日連れて行くので、今日は近くのホテルに泊まるようにいわれ、ホテルまで送ってもらうことになりました。英語でなんとかアパートを探してほしいと訴えることが出来ず、悔しい思いをしましたが、自分の英語力のなさが悪いんだとおとなしく従ってしまったのが、後でとんでもないことになってしまうなんて!そのときはわからなかったのです。

ホテルの名前はWelesey's Inn。よくある田舎のモーテル。部屋の壁は薄く、ホテルにはFriendly'sというローカルなファミレスが併設されていました。ここで1泊することに。外は雪。氷点下の田舎町で心細くハンバーガーを食べました。昨日と比べると、ホテルも街も食事もランクがぐっと下がり、これが現実だと思い知らされました。そして見ず知らずのアメリカ人家庭に入り同居するという、気の小さい自分にはとても面倒な行事が明日やってくる。ホテルの部屋に帰るとテレビをつけました。どのチャンエネルも英語ばかり。早速ホームシックになりつつ、固いベッドに身を横たえたのでした。

1988/01/08
2006/3/7 Rev.


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