SSブログ

8. ニューヨーク到着4日目 ホームステイ [大学入学とアメリカ生活]

朝、1階からシシリーの大きな声がしました。どうやら私を呼んでいるようです。目をこすりながら階段をおりると、キッチンに置いてある小さなテレビを指差しました。その5インチくらいの小さな白黒テレビでは、昭和天皇の崩御に伴う式典らしきものが映し出されていました。どうやらシシリーは、リビングの大型テレビでは映らないマイナーなテレビ局をテューニングして見せてくれていたようでした。その映像はかなりノイズが入り、よく見えなかったのですが、何やら物々しい行事が行われているのが見て取れました。シシリーは天皇についてどう思うのか、悲しいかなどいろいろと質問をしてきたのですが、私は特にリアクションをしなかったです。天皇といわれても自分に近い人ではなく、戦争を体験した訳でもない。そして、日本を発つ前から体調がよろしくないという報道を何度も見ていたので、普通に受け入れました。しかし、歴史に詳しいシシリーは、私がもっと感情的になることを期待していたようです。例えば日本人としてなにやら変な行動をとるとか、泣くとかそういった類いのことです。ちょっと期待はずれだったシシリーは、私を気にしながらリチャードと共に仕事に出て行きました。

旦那さんは、朝6時頃家を出て行ったようで、朝の7時30分には家に私ひとりとなってしまいました。小さなテレビを見ていると、そのチャンネルは日本語放送だということがわかってきました。ひととおり日本での出来事が終わると、ニューヨークのローカルニュースを日本語で伝え始めたのです。"あぁ、日本から離れているニューヨークで日本語放送を見ることが出来るんだ!"これはとても嬉しい発見でした。最後まで番組を見ていると、どうやらこの放送はフジテレビのニューヨーク支局から放送されているUHF局だということがわかってきました。そして番組が終わるとスペイン語放送になってしまいました。ということは朝の7時から8時55分までの1時間55分だけ日本語で放送しているということです。この番組には、この日から5年間お世話になることになります。日本人の友達が少ないなか、唯一日本語を聞くことができ、日本の情報を知ることができる貴重な番組でした。ただ、私の住んでいる地区はマンハッタンからかなり離れているので電波の状況が悪く、画面はノイズがおおくて音声と併せて映像を認識しなければなりませんでした。でも、日本からの映像と日本語は、私の心を穏やかにしてくれました。

この日は、朝、前日に購入したリンゴをかじり、家のまわりを歩いてみることにしました。外は寒いのですが、日本を発ってから落ち着かない日々を送っていたので、久しぶりに安堵感でリラックスしていました。まず、昨日連れて行ってもらったPATHMARKというスーパーに行ってみました。車だと5分くらいですが歩くと20分以上ありました。シシリーに連れてきてもらったときはあまり時間をかけるのも申し訳なかったのでゆっくりと見ることが出来なかったので、今回は一通り見て歩こうと思い端から端まで商品をチェックして歩きました。あっという間に時間が経ち、隣にある日曜大工の店を合わせると2時間近く見てしまっていました。ここでは、今後の食料を買い込みました。早速日本では見たことのない食材を買ってみました。そして重い食料をいったん家の冷蔵庫にしまい、今度はSpring Valleyという街の中心に足を向けました。

Spring Valleyには駅がありました。New Jersey Transitの終点で、この駅から列車がNew JerseyのHobokenというところまで延びていることがわかりました。でも列車は日に数本しかなくあまり利用されていないようでした。駅のまわりにはアフリカンアメリカンのホームレス風の人が結構いて、皆私を見ていました。駅から続く商店街は半数が閉店しており、オープンしている店はどこも汚い感じで何を売っているのかよくわからない店構えでした。しばらく歩くと、なんとなく危険な雰囲気が漂ってきたので、引き返しました。冬とはいえままだ昼間です。でも明らかに普通の街ではなかったのです。後でこの話をすると、シシリーも学校のスタッフもSpring Valleyの駅周辺はとても危険なので行ってはいけないと注意されました。家のまわりは安全なのに道を数本隔てた駅は治安が悪い。アメリカは本当に不思議なところだなあと当時は思ったものです。

1988/01/10
2007/03/07 Rev.


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。